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シェイクスピア劇観劇記(ネタバレあり)
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宝塚オリジナルではなく、フランスの演出家ジェラール・プレスギュルヴィックのものを潤色したものだそうだ。
色々と独自の解釈が加わっていて面白かった。
衣装の色はモンタギュー家が青、キャピュレット家が赤。
アニメ「ロミオ×ジュリエット」でもそうだったのだけれど、何か元ネタがあるのだろうか?
もっとも、宝塚のHAMLET!!でもハムレット陣営が赤、クローディアス陣営が青だったので、赤と青は舞台で使いやすい色なのかもしれない。
他の変更点としては、ジュリエットの年齢が16歳に引き上げられていた。
14歳未満では結婚をするのに幼すぎるということなのだろうか?
バルサザーやサムソンといった端役は抹消されていて、その役割はモブ(「キャピュレット男」など固有名の無い役柄)かベンヴォーリオなどの主要キャラに振り替えられていた。
例えば最初の場面で争いを始めるのはマーキューシオとベンヴォーリオになっている。
ロザラインも存在しないことになっていて、ロミオは単に「恋に恋する」若者だと描かれている。
舞踏会に行く理由は「キャピュレットの女たちをひっかけてからかってやるため」に変更されている。 確かギャリックだかキーンだかも純愛を強調するためにロザラインを抹消したと何かの洋書で読んだ。
プレスギュルヴィックはその版を参考に読んだのかどうかが気になる。
ジュリエットの方も「恋に恋する」少女であるが、パリスとの政略結婚を勧められ、親の愛の無い結婚に嫌気がさして真の恋人を求めるという風に描写されている。
パリスとの結婚に関しては、キャピュレットの財政が火の車でパリスは結婚の暁に借金を肩代わりするとの申し出をしている。
いかにも政略結婚の匂いがするが、パリスの性格を考えると花嫁をカネで買うというより単なるお人よし(妻の実家を手助けしてあげたい)のような気がしないでもない。
三枚目として描写されているあたり、権謀術数が得意ではなさそうに思えた。
権謀術数と言えば、2004年12月に上智大学で見たRJはヴェローナ内部での権力争いに力点が置かれていて、キャピュレットは(借金ではなく)権力がほしいがために大公の血縁であるパリスとの婚姻関係を望み、モンタギューの方は同じく大公の血縁者であるマキューシオを陣営に引き入れる(マキューシオもそのパワーポリティクスに気付いている)という解釈であった。
あれもなかなか面白いと思ったのだが、未だに同じ見方のRJを見たことがない。
今回のRJの最も重要な点は、ティボルトがキャピュレット家の跡取りとなっていることだ。
キャピュレット本家に女子しかいないため、従兄のティボルトがキャピュレット公の跡を継ぐということになっている。
そのためティボルトには次期リーダーとして立派に振舞うことが求められ、その重圧に苦しんでいる描写が見られた。
その近くの場面ではロミオが友人たちと自由と青春を謳歌する歌が入っているので、より対照的に感じた。
また、もう一つ重要な点(おそらく宝塚的にはこちらのが重要)は、ティボルトがジュリエットを長年愛しているということだ。
しかも従姉妹とは結婚できないという制度になっている。
当時の法律(イングランドおよびイタリア)ではどうだったのかが気になる。
愛と義務、2つの要素によりティボルトが准主役に押し上げられているのだと思う。
准主役の割には死んだときの台詞が全く無くてかわいそうな気がしたが、これは原作がそうなのと、直前にマーキューシオのやや長い今際の言葉が入るので、2回も似たような死亡シーンが続くとダレてしまうとの判断なのかもしれない。
キャピュレット夫人は夫を全く愛しておらず、ティボルトを溺愛していることになっていた。
叔母と甥だと近親相姦だが、男子相続を考えるとティボルトはジュリエットの父方の従兄、つまりキャピュレット夫人とは血のつながりはない。
夫つまりキャピュレットは、仕事が忙しく家庭を顧みない父親だが娘の心配はしている、という描写であったので、キャピュレット夫妻の仲はあまりうまくいっていないようだった。
冒頭のシーンではベンヴォーリオとマーキューシオがモンタギューの若手リーダーと紹介されていた。
マーキューシオはロミオの悪友というだけでモンタギューの中心にはいないような気がするのだが……。
ベンヴォーリオの方はロミオと血縁関係にあったような気がするが、ティボルトの例のように男子相続者がいない場合他の男子血族が継ぐのであれば、ロミオ亡き後はベンヴォーリオがモンタギューのリーダーになりそうな気がした。
他の特徴的な要素としては、「死」と「愛」という二人のダンサーである。
彼らは「死」や「愛」が絡む場面だと後ろの方に立っていたり、踊っていたりする。
印象に残った演出は、ロレンス神父の使いがマンチュアに来たとき、フードの人物があさっての方向を使いに教え、それで使いはロミオに手紙を渡せなくなってしまうのだが、謎の人物がフードを取るとそれは「死」であった……というもの。
ベタな演出ではあるが、ロミオとジュリエットの悲劇的な結末はたまたま不運が重なったというより、超自然的な「死」の介入があったからという見方はいいと思う。
霊廟のシーンではパリスが出てこなかった(=死ななかった)。
たしかに、薬を買う→霊廟に向かう→愛を語ってから自殺 という盛り上がる流れを中断させてしまうので、パリスを出さなかったのは話の流れとしてはいいのかもしれないが、死ぬ必要の無い人まで死ぬという悲劇性は薄れたかもしれない。
パリスの死は大公にとっては重要なのだが、この演出では大公の権力はそれほど強くない(少なくとも若者からは軽視されているようだ)ので、わざわざ親族を2人も殺して反省させるだけの重要性がなかったのだろう。
ロミオとジュリエットは和解をもたらすためには自殺でなければいけないのだろう。
他殺であれば、マーキューシオとティボルトの例のように、復讐する対象が生まれる。
しかし自殺の場合、怒りや憎しみをぶつけるべき殺人者が不在である。
そのため、ただ嘆くしかない。
もしかするとマーキューシオとティボルトの死はロミオとジュリエットの死と和解とコントラストをなすように入れられているのかもしれない。
大公の初登場時の台詞でローマの遺跡が言及されており、キュピュレット家かモンタギュー家の若者が「自分達はローマ人のように戦いに身を投じなければいけない」と言っているのでローマ人とヴェローナのつながりを意識しているのかと思ったが、実を言うとローマ人の言及があったのはこの2箇所だけだった。
背景にコロッセウムが描かれていたが、ローマの末裔たる象徴なのか単にヴェローナに実在するから入れられたのかは不明。
ロミオとジュリエットの結婚は翌日すぐに噂になっているのも独自の点である。
ロミオとジュリエットは身内から激しい非難を受けたようだ。
そのため、ジュリエットを愛するティボルトの怒りはより激しいものとなり、マーキューシオやロミオに襲い掛かる理由が強くなる。
しかしそれではパリスとの結婚はどうするのかと心配していたら、「パリスが結婚の噂を聞きつけないうちにさっさと結婚させてしまおう」ということになっていた。(それはちょっとあんまりな気もするが)
マーキューシオの死亡台詞の変更は興味深かった。
この時点でマーキューシオは既にロミオとジュリエットの結婚を知っているので、息を引き取る直前ロミオに愛を貫くように言うのだ。
その台詞があると、続く「モンタギューもキャピュレットもどっちもくたばれ」が、単に自分の死の原因を作った両家を呪っているだけでなく、親友ロミオの恋の邪魔になっているという理由があるように聞こえる。
ラストはとても「宝塚」であった。
RJのストーリーが終わり皆の嘆きで幕を閉じた後……明るくダンス・レビューが始まるのだ。
もちろんカンカンダンスも含めて。
これは賛否両論ありそうだけれど、「宝塚らしい」といえるだろう。
なお、ダンスが始まる前に座席を立つのはほぼ不可能。
余韻にひたれないと嘆くよりは、「宝塚とはこういうものだ」と心の余裕を持って眺めるといいのではないかと思う。
余談だが、カンカンダンスの衣装の青と赤のハートはロミオ・モンタギューとジュリエット・キャピュレットの2人の愛が結ばれたことをあらわしているのだろう。
(青=死と赤=愛の融合、とまで考えたら深読みのしすぎだとは思う)