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シンベリン

シンベリン @早稲田大学
早稲田大学のシンベリンを観てきた。
早稲田ときいててっきり早稲田キャンパスかと思ったら、南の方にある戸山キャンパスというところだった。
文学部のキャンパスらしい。
早大に演劇コースなるものがあるようで、そこの卒業制作だった。


つくりとしては、大学生の卒業制作ということで、大学の劇団よりちょっと上ぐらいかなあと思った。
王妃役は比較的舞台に立ちなれていそうな印象を持ったけれども。
「自分はきれい」と思っているようなそぶりなので、それでヒロインをやってしまうとまずいのだろうが、王妃をやるとぴったりだ。


場が変わるところで何度か突然ダンスが入るが、卒業制作ということでやっている本人たちが楽しいように作るのもアリかなあ、と思ったりした。
まだ登場していない人物も出てきて踊るので、おそらく本編とは関連性が薄い。


ローマとブリテンの戦闘をダンスにしたのは、個人的には普通の殺陣よりも好きだ。
ダンスで戦闘というと、宝塚の二人の貴公子を思い出した。


演出上そうなのか、物語りが元々そうなのかは確証が持てないが、本当に悪い人というものはこの作品には登場しないような印象を持った。
クロートンの「イモージェンを見つけたら玩んでやる」云々や、王子兄弟の「この歳になって殺人したことないなんて」が省略されていたこともあるのかもしれない。
クロートンは無邪気なバカさが強調されていたように思う。
ある意味、こどもシェイクスピアよりも子ども向け(性的な要素が抜け落ちているという意味で)といえるかもしれない。
うまく言えないが、「『シンベリン』はかわいらしい御伽噺」と感じた。
初期の、例えば『間違いの喜劇』の荒々しさと比べると、だいぶ角が取れて丸くなったとでも言うべきなのだろうか。


冒頭には、役者がシェイクスピアの有名な台詞をラップ調でつぶやきながら通り過ぎていくシーンが追加されていた。
特に役柄とは関係がなさそうで、一種のオープニングなのだろう。
音楽と被って聞こえなかった台詞もあったが、覚えている範囲だと
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(ハムレット
「馬をくれ、馬を、馬の代りに王国をくれてやる」( リチャード三世
「人生は劇場、人間は男も女も皆役者」(お気に召すまま
「尼寺へ行け」(ハムレット)
「嫉妬は恐ろしい怪物」(オセロー)←これはヤーキモーが言っていたので意図があるかもしれない。
「きれいはきたない、きたないはきれい」(マクベス
「賢者は自分が愚かであることを知っている」(これは元ネタが分からない。ソークラテースのようだからローマ劇のどれかだろうか)


ヤーキモーは冒頭の演出のせいで、イアーゴを頭に浮かべながら観てしまったのだが、イアーゴに比べるとヤーキモーはだいぶ紳士的だと感じた。

罪を告白するヤーキモーと沈黙するイアーゴの対比はどうなのだろうと思ったが、同じ悪役でもエアロンは最後まで喋るというわけで、このあたりは何か変化があったのだろうか。


変化といえば、「3人でシェイクスピア」で「シェイクスピアの喜劇なんてみんなカップル3組の話だろ」と揶揄されるように複数のカップルがどうこうする話が多いのだが、「シンベリン」はその法則(?)から離れているようだ。
アースラとベレーリアスで2組としても、3組目が全くいない。
複数のカップルを出すよりも、1組に焦点を絞って掘り下げる方が好きになったのだろうか。
「シンベリン」は元々盛りだくさんの話なので、これ以上筋がややこしくなっても困るのだが。
そういえば、初期の喜劇は結婚で終わるのが多いが、これは最初から結婚している。
恋人と妻というのはどう違うのだろう。
もちろん、「ポステュマスがイモージェンの体の特徴を知っている」という前提をつけるには、二人が既に結婚していなければ都合が悪いわけだが……。


オリジナルキャラとして道化(ひみつのアッコちゃんの呪文から名前がとられていた)2人を登場させていた。
場転のときの道具運びと、名前の無い役の代わりを務めていたようだ。
(フランス人やブリテン貴族といった役柄は別に登場していたが)

最近の演劇では比較的多いように思うが、今回も女性役者の方が多かった。
ピザーニオ、医者(名前は無かった)、貴族などが女性で、フィラーリオはエイドリアーナという女性(役どころから考えるとフィラーリオの妻)に変更されていた。
後で訳本を見返したら台詞の省略がだいぶ多かったが、筋は変えていないので、オリジナル役や性転換を把握していれば、ストーリーを頭に入れるに分には問題ないだろう。


独白のところでは照明が消えて独白の役者にスポットライトが当たるという、非常に分かりやすい演出がなされていた。
そのまま独白をやるには違和感があったのだろうか。
1幕1場では役者の動きが芝居がかっていて(台詞が終わったら後ろに引っ込むなど)、そういう演出なのかと思ったが、その場だけだった。
パントマイムみたいなジェスチャー(「狐みたいに」といって狐の手振りをするなど)はかなり多くて、ちょっと気になった。
また、音楽がほとんどカットアウトなのも気になった。
だいぶ昔に見た学生演劇(あれは2004年の上智で見たロミオとジュリエットだっただろうか?)でもやたらカットアウトが多かったのを思い出した。


5幕5場で医者が大変嬉しそうに王妃の告白を暴露するのが印象的だった。
医者は3場しか登場しないが、1回目は王妃を騙す気満々の独白をし(上記の演出のために独白をするとかなり目立つ)、3回目は5幕5場なので、強烈な印象を残した。
医者が女性と言えば、数年前に見た「から騒ぎ」(確かシェイクスピアシアターのだったと思う)で、「レオナートをレオナという女性にしたのは、偽りの死に男性が関わる『ロミオとジュリエット』では結局死んでしまうが、女性が関わる『冬物語
』では復活するというイメージがあったから」とパンフに書いてあったのを思い出した。


ラストの真相が明らかになる場面では、王妃の悪逆非道ぶりを全く知らずショックを受けたり、娘や息子が次々と現れて「わけがわからない!」と叫んだりする王が笑いを誘っていたが、初演当時はこの場面はどのように受け取られていたのだろう?
こどもシェイクスピアでもこの場面は受けていた。


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