ペリクリーズは、昨年9月の
キャラメルボックス版に続き2回目である。
(できれば各作品2回ずつは見たいと考えている)
公演時間は休憩なしの2時間。(13:30~15:30)
これぐらいだとラクでいい。
「
ペリクリーズ」は去年のキャラメルボックスが良かったのと、元々こういう話が好きなので、作品を好きな気持ちが舞台評価を底上げしているような気が幾分かしなくはない。
今回のペリクリーズは、最初に役者たちがスーツケースを押して現れたことから、この作品は空想旅行の面もあるのではないかと感じた。
また、国は中央の布の色で表されるのだが、移動がほとんど直線的だ。
タルサスだけ3回立ち寄ることになるが、あとは言わば一方通行である。
もちろん、この話はガウワーを元にしているから(原形はもっと古くからあるようだ)、シェイクスピア個人の考えとは言えないし、もしかしたら『
オデュッセイア』のような貴人流浪譚の流れを汲んでいるだけかもしれない。
衣裳はどこか遊牧民風(モンゴルにありそうだ)。
名前のある役でないとき(説明含む)は黒い作務衣のような服で、全ての役者が常に舞台上(奥のライトがよく当たらないところ)におり、役の出番が来ると黒服の上に衣裳を着ていた。
黒服⇔衣裳の変化は「
こどもシェイクスピア」と似ているが、脱ぐか着るかは逆だ。
後ろの方の席なのではっきりとは見えなかったが、役によっては顔にペインティングを施していて、しかもその役が終わるたびに落としているようだった。
演奏は鉄琴(ガムランの響きに似ている)やリコーダー(?)で、やはり「民族的」なイメージがあった。
音楽はケルトやスコットランドの素朴なメロディのイメージを持った。(音楽は詳しくないので、イメージが間違っているかもしれない)
どういう劇団なのか、そもそも劇団なのかよくわからないのだが、演奏者が観客の目に見えるところ(観客席左前方の左の壁の中?)にいたことから、音楽も売りの一つなのかもしれない。
音楽はかなり多用されていて、無音の時間の方が少なかったかもしれない。
前述のように役がない人は黒服なのだが、ガウワーが何度も登場することもあり、この黒服軍団が説明を語ることが多い。
1人でずっと語るのではなく、5文くらいで次の人につないでいく。
ただ語っているだけではあるが、1人で語るよりも飽きなくていいと思った。
ダイオナイザの怖さが印象に残った。
彼女が最初に登場するシーンで、
キャラメルボックス版では夫妻ともに派手に嘆いていたが、今回のダイオナイザはすぐに心を動かす夫に冷たい態度を取っている。
クレーオンがペリクリーズに礼を述べる際にも、「やってられないぜ」と言った態度である。
マリーナ殺害を夫に告げるところはマクベス夫人を思わせた。
マクベス夫人は罪の意識によって夢遊病になってしまうが、ダイオナイザはなんともなかったようなので、ダイオナイザのほうがある意味強いのかもしれない。
なお、マリーナに海岸を散歩するように言うシーンでは、マリーナはダイオナイザを快く思っていないようだった。
うっかり和訳を読むのを忘れて、行きの電車の中で慌てて読んだので後半ははっきりとは分からないが、テクストの乱れとされている箇所はすっぱり削除されていたように思う。
例えば、ペリクリーズがアンタイオケから帰国後、貴族2人が挨拶をしてヘリケイナスが「追従は~」と諌めるシーンはなく、いきなりペリクリーズがヘリケイナスに打ち明け話をしている。
一方、後半でよく問題となる「ペリクリーズがいつから髭を伸ばすか」は松岡訳の解釈ではなく、(註に書いてある)アーデン版の「この子が成人するまで~」が使われていた。
松岡訳そのままであれば、ここは再婚云々の話になる。
キャラメルボックス版ではタイーサに楯を掲げるシーンがだいぶアレンジされていた(ダジャレになっていた)ので、今回はどうするのかと気になっていたが、なんと全部カットされていた。
その代わり、騎士達が剣で戦ってペリクリーズが勝ち残る殺陣が入っていた。
(正確には馬上槍試合なので剣で戦うのはおかしいが、舞台上で馬を乗り回すわけにもいかないので、これでいいと思う。台詞を「剣の試合」と言う風に修正してもいいかもしれないが)
タイーサとマリーナは同じ女性が演じた。
この劇団(?)、女性が2人しかいないので(全部で9人)、マリーナが女郎屋の女将と話すシーンを考えてみると、確かにタイーサがマリーナをやった方が、ダイオナイザがマリーナをやるよりは合っている。
ラストシーンではもう1人の女性役者はダイアナ像の役であるので、マリーナは一切登場しない。
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