子どものためのシェイクスピアカンパニー「マクベス」 @紀伊國屋サザンシアター
CoRich
今回の『マクベス』は、一言で言うと楽しかった。
同行者2人も楽しめたようで良かった。
後半少しダレた気もしたが、単に好みに合わなかったか、私の集中力が切れたのかもしれない。
この劇団は好きなので甘めの評価になっているかもしれない。
上演時間は2時間。
子供の集中力は1時間なのか、中間に15分休憩が入った。
短くするためか、全体的に台詞がさらっとしていた。
マクベス夫人の「赤子を乳からもぎ取り~」や門番の卑猥なジョークはカットされていたので、子供によろしくない部分を削除した可能性も強いが。
卑猥なジョークと高尚な表現が同居するのがシェイクスピアの魅力の1つだとは思っているが(だからラム版『
シェイクスピア物語』やそれを元にした子供文学全集を読んで「シェイクスピアを読んだ」と言うのは許せないのだが)、それほど原型が崩れている感もなかったので、この程度なら許せる。
『マクベス』の見せ場はジョークに以外に数多くあるかもしれない。
なお、役者の人数の都合か侍女は出なかった。
バンクォー殺害の暗殺者は途中で3人に増えた気がするが、最初から3人いた。
マクベスが暗殺者を呼ぶ場面は『
リチャード三世』を彷彿とさせる。
かなり前に座っていたせいか、台詞がはっきり良く聞こえてよかった(マクベス夫人の声量が足りないと感じた箇所が前半に1回あったが、それ以降は気にならなかった)。
個人的にはこういうクリアな発声が好きだ。
全体的に笑わせようとする演出だった。
冒頭にマクベスやバンクォーの戦闘シーンが入るなど、動きも追加されていた。
マクベスやバンクォーが登場する際、名前を連呼する中で黒コートを脱いで登場するのが分かりやすくてよかった。
一方、観客のノリが良かったせいか、原作通りの台詞を読んでいるだけで受けるところもあって新鮮だった。
魔女の服装が台詞の通り「女なのか男なのか」「大人なのか子供なのか」分かり兼ねるものだった。
性別に関しては、男に魔女をやらせるのは想定内だったが(そう言えば「髭があるぞ」はカットされていた)、おかっぱ頭に女の子風のサマードレスで子供っぽさを出すという発想は感心した。
短剣の場面では実際に短剣を登場させていた。
下から懐中電灯を当てて手が天井に映っていたのが印象的だった。
バンクォーの亡霊もバンクォー自身が登場していた(衣装は血まみれでなかったが)。
マクベス夫人の「よくあることです」「あまり見つめないで」は普通は笑いどころではなかったと思うが、今回は笑いが起こっていた。
特に笑いのネタを仕込んでいるようには感じなかったのだが、場の雰囲気のせいだろうか。
マクベス夫人が「短剣を置いてきなさい」というシーンでは、なんと血まみれのダンカン王がフラフラと入ってきて倒れ、その死体を片付けなければいけないという風に変更されていた。
考えようによっては怖い場面だが、子供の泣き声は聞こえなかった。
(夜なのでそもそも子供が少なかったというのもある)
後で思い出したが、ダンカン殺害の場面ではなぜか小野リサの
Moonlight Serenadeがかかっていた。
怖さを和らげるとも、不似合いな落ち着いた曲をかけることでかえって殺人の怖さを際立たせるともとれる。
後半、ロスやレノックス達がマクベスについて語るシーンの前にいきなり「黄ヘルメット集団が食事休憩」というシーンが入って面食らった。
机の配置換えと鍋(少し後で魔術に使う)の出し入れをスムーズに行うために入れたのだろうと見当はついたが、せっかくの芝居の流れが途切れてしまった感もあった(この後しばらくは本編を前半ほどは集中して見られなかった)。
本編との関連を探ろうと思って見ていたので戸惑うばかりだったが、そういうものだと思って見ればもっと素直に笑えたかもしれない。
なお、石田純一の結婚ネタは毎日やってるようだが、他のネタは日替わりのようだ。
マクベス夫人=マクダフの役者は左利きで、殺陣は他の役者との兼ね合いで右手に剣(竹竿)を持つのかと思って見ていたが、左手に持っていた。
ヘカテは瓶底眼鏡のおっさんが女装した姿だった。
予言の亡霊は黒コート(マクベス、魔女3人、ヘカテが場にいるので残り3人がやる)が笑える感じでやっていた(原作通りの姿ではなかった)。
バンクォーの予言はやらなかったが(ヘカテが鐘を振って「はいもうお仕舞い」と去って行ってしまう)、人数が足りないだけでなく、あの箇所は背景知識がないと意味が分からないからやらなかったのだろう。
マルカムは何かの本(
松岡訳のあとがきにあるが、他の本でも見たような気がする)で無神経だと指摘されていたが、今回は確かにそう感じた。(特にマクダフを慰めるところ)
なお、マクダフに一家全滅を告げる前振りの「お会いしたときは元気だった」云々は省略されていた(分かりにくいからだろう)。
最後にマルカムがフリーアンスに会うところでは(フリーアンスとドナルベインは同じ役者なので、ドナルベインと間違える)、マルカムに冷酷な印象を持っていたので、“将来の王に連なる”フリーアンスを邪魔者として暗殺しようとするのかと一瞬思ってしまった。
“バーナムの森が動く”ところは枝も何も使わなかったが、受けをねらうならもう少し分かりやすく(いっそ木の着ぐるみを着るとか?)やると笑いを誘えたかもしれない。
終盤では「消えろ、命の灯火」が何度もエコーされていた。
マクベス夫人が魔女に与しているのかマクベス側なのかが問題になるようだが、マクベスが嘆いているところでマクベス夫人(の幽霊?)が出てきたところを見ると、マクベス側のようだ。
マクベス夫人とマクダフが同じ役者ということに意味を持たせようとするならマクベス夫人はマクベスを陥れる側という見方もできるが、おそらくは出番の都合でそうなったと思われるので、そんなに気にしなくてよいだろう。
『マクベス』というとマクベス夫人の方がインパクトが強い場合もあるのだが、今回はマクベスのが印象に残った。
マクベス(の役者)だけずっとマクベスだったからかもしれない。
マクベスの心理にスポットライトが当たっているような箇所では、ライトによって赤と白の碁盤模様が舞台上に描き出されていた。
「マクベス裁判」のチラシに「マクベスは魔女たちにいいように操られていたと気付いて」とあったが、この碁盤目はマクベス=(チェスの)駒ということの象徴だったのだろうか。
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