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二人の貴公子

宝塚バウホール公演「二人の貴公子」

CoRich


宝塚といっても、今回はバウホールという小さめの劇場での公演。

残念ながら東京公演はない。(先日の「逆転裁判」のように日本青年館での特別公演がある場合もあるけど)

キャストは20人くらいで、舞台も小さく、後半のレビュー(ダンス)はない。

先日見たバウホール特集番組によると、翻訳ものや日本ものを実験的にやる劇場のようだ。


公演1ヶ月ぐらい前にチケ取ったのだが、運よく1番前の1番端が空いていて、とても楽しめた。

全席同じ値段なので前のほうがお得感がある。(東京宝塚だと1番前は1万円くらいする)

1番前と舞台との距離は70cmくらいか。

かなり近く感じた。

この近さだと舞台で見えない場所ができてしまうのではないかと心配になったが、比較的奥のほうで演じられていたので、見えないということはなかった。

但し、全体で散らばって踊る場面(殺陣とか)は一目で全体を見渡せないので、どこを見ていいか困るかもしれない(そういうときは主役を見ればいいのだろう)。


芝居全体の感想は、珍しく「宝塚なのにシェイクスピア劇だった」。

宝塚というと原作を換骨奪胎し、「暁のローマ」(ジュリアス・シーザー)や「愛と死のアラビア」(ローズマリ・サトクリフ『血と砂』)あたりは完全に別物になっていたが、今回は劇場が小さいせいか、ストーリーが宝塚に合わせやすかったのか、原作にかなり近かった。
というわけで(?)かなり満足した。


蜷川版を見慣れた人なら「民衆が綺麗すぎる」との批判が出てきそうだが、宝塚で青っ洟をたらすなどまずありえないので、宝塚はそういうもんだと思って観た方がいい。

また、エロ要素(例えば医者が門番に「娘さんがパラモン(の振りをした求婚者)と同衾したがったらさせてやりなさい」と言うくだり)も完全に取り除かれていた。

私は宝塚を見慣れているので、「宝塚がシェイクスピアをやるならこんな感じか」と納得して観ていたのだが、初めて観る人には違和感が大きいかもしれない。(あのメイクとか)


舞台はコの字型の壁(観客側が開いている)。

ギリシャの神殿のような2階建て、円柱の間(たくさんある)はカーテンで覆われている。

ぱっと見、彩の国シェイクスピアで使っても違和感なさそう。

壁には電球、柱にはカラー電灯が仕込まれているので、やっぱり宝塚だと思うわけだけど。


主役(男役トップスター)は二人の貴公子のどちらをやるのだろうと思っていたが、最後まで生き残るパラモンのほうだった。

準主役(男役)がアーサイトで、娘役トップがエミーリア。

娘役では牢番の娘が準主役級の扱いをされていたように思う。

彩の国だと女装したブサイク女になりそうだが、宝塚なので可憐な野山の花といった少女。

後半、エミーリアがダイアナに祈るところで、牢番の娘(2階に隠れているのでエミーリアからは見えない)がつぶやいた言葉をエミーリアがダイアナのお告げと考え、牢番の娘が放り投げた花を受け取る、という演出がなされていた。
(余談だがこのシーンの牢番の娘はどことなく「夏の夜の夢」のヘレナを思わせる。狂った様子はあまり見られない)

なお、残念なことにパラモンとアーサイトが神に祈るシーンはカットされていた。


パラモンとアーサイトは、パラモンが金髪の長髪、アーサイトが短髪というところを除けばよく似ていて見分けがつかないぐらいだが、パラモンが主役なので、よく見るとパラモンの方が衣裳が豪華である。
(宝塚ではよくあること)


主役がパラモンなので、パラモンの見せ場が色々と追加されていた。

1年後の決闘前夜にエミーリアを訪ねて贈り物をし、愛を語っている。

このシーンでは途中でアーサイトもやって来るのだが、二人の姿を認めるとそっと出て行く。

この後、独り佇むアーサイトの元にペイリトオスがやって来て「身を引くのも勇気だぞ」と諭すシーンがあるのだが……結局、原作通りにことが運ぶので、ここのシーンが生かされていなかった。

熱情家のパラモンに比べ、アーサイトはパラモンとの不和に当惑している感があったので、直前になって逃亡すればそれはそれで面白かったと思う。
(しかし後述のように死亡シーンは見せ場でもある)


また、ラストで落馬して瀕死のアーサイトと涙の別離をかわすシーンと、彼の死を大いに嘆くシーンが追加されている。
(主役&準主役の見せ所なのだろう)

あれだと取り残されたエミーリアがちょっとかわいそうな気もするが……。
(エミーリアは嘆くパラモンを見守った後「一緒に悲しみに耐えていきましょう」という流れになる)

なお、(前半は特に)明るい喜劇的な雰囲気でこの作品は「喜劇」のように思えたが、この嘆きのシーンやパラモンとの別れを見ると「悲劇」であるとも思わされる。

アーサイトを主人公とすれば主人公が死ぬので「悲劇」、パラモンを主人公とすればラストで和解するので「喜劇」となるのだろうか?

ちなみにThe Riverside Shakespeareでは「冬物語」や「ペリクリーズ」と同じRomancesに分類されている。


ミュージカルプレイと副題にあるように、歌と踊りが満載だった。

パラモンとアーサイトが「テーベを離れて冒険に出たい」といきなり歌い踊りだしたりするが、ミュージカルはそういうもんである。


冒頭の3人の王妃が嘆くところは大げさな気がしたが、宝塚ってああいう演技なんだっけ?


村人の名前がボトム等「夏の夜の夢」の登場人物になっており、テーセウスへの出し物も「ピラマスとシスビー」になっていた。

「ピラマスとシスビー」は牢番の娘と婚約者が主演を務めることになっていたが、娘がいなくなってしまって困る、という筋。

アーサイトがエミーリアに仕えるようになるくだりと、パラモンがアーサイトを見つけるくだりも改変され、オリジナルキャラの「身寄りのない流浪の騎士」フィロストラーテ(この名前も「夏の夜の夢」にある)が登場する。

まず、アーサイトが競技会について聞くのは村人ではなくフィロストラーテからであり、話を聞いたあとフィロストラーテを襲って武器を奪い、彼になりすます。

フィロストラーテは死んだのかと思いきや、ボトム達に看病され息を吹き返し、なぜか出し物のピラマス役に抜擢されるのだが、台詞をトチりまくる(「声が見える」など)。

出し物の直前に脱走したパラモンがやって来るが、アーサイトがエミーリアの近くにいるのを見て、フィロストラーテを脅してピラマス役を代わらせ、出し物の途中でアーサイトを告発する。

なお、この騎士は1年後エミーリア姫に仕える立場で再登場する。


上記の、森でアーサイトとパラモンが再会するシーンは、村人男女が「森の中ではご用心」とかわいらしい感じの歌を歌う中で、パラモンや牢番の娘などがすれ違うという、「夏の夜の夢」のパックと恋人4人のシーンを思わせるような演出だった。


他の追加要素としては、エミーリアとヒポリタのやりとり。

ヒポリタがテーセウスの戦勝祈願をしに行くのは原作と同じだが、それにエミーリアが驚く。

ヒポリタは女戦士アマゾンの女王だったので、どうして剣を取って共に戦わないのかと。

それでヒポリタが「愛が変えた」と言うのだが……後半でエミーリアがこのやりとりを内省するシーンが欲しかった。


エミーリアが亡き親友フラヴィーナについて語るのはヒポリタとの会話だったが、宝塚版ではアーサイト(競技会で優勝してエミーリアに仕えている)に語り「あなたといると親友のことを思い出す」とまで言っている。


1年後の決闘に伴う騎士の数は原作では3人だったが、いきなり100人(!)に大増量されており、パラモンとアーサイトがそれぞれ諸国の騎士を打ち倒し、部下を増やしていく様がダンスによって表される。

余談だが、殺陣のシーンはキャストの大多数を動員しているようで、よく見ると娘役も騎士役に参加していることが分かる(普通の男役に比べるとかわいい顔つきをしている)。


牢番の娘の狂気を直すのに求婚者がパラモンの振りをするシーンでは、求婚者が娘にせがまれて歌うのだが、「歌なんか歌えないよ」と言ってるんだから、あそこはもうちょっと下手にやっても良かったと思う。


牢番の娘と言えば、ラストのアーサイトの死にまで絡んでいた。

娘が求婚者と街を散歩しているとアーサイトの行列が通りかかり、娘が求婚者に「パラモン」と呼びかけると、その言葉がアーサイトの耳に入り、動揺して落馬してしまったのだという。

それをパラモンに報告するのは娘を伴った求婚者である。

娘は本物のパラモンを目にするわけだが、未だに求婚者の方をパラモンと思っているので、特に狼狽はしない。


総評として、楽しい芝居だった。

  

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