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終わりよければすべてよし

THEATRE MOMENTS 「終わりよければすべてよし」
しばらく大手商業演劇や正統派ばっか見てたから、小劇場テイストに慣れるのに時間がかかった。



前半イマイチで一瞬帰りたくなったが、後半はなかなか良かった。

こりっちで評価するとしたら、最初2にしようと思ったけど3に変更。



演出みる限り、普段はシェイクスピアやらなそうなのに、なんでこんなマイナーめの作品選んだんだろう……。

こちらとしてはマイナー作品上演は大歓迎なのですが。



今回は予習(和訳読み直す)ちゃんとやっていった。

上演4時間前にやったのでバッチリもバッチリである。

やっぱりシェイクスピア劇は予習した方がいいなぁと実感。

次観る予定の「王妃マーガレット」はヘンリー6世3部作を一挙にやるから読むの大変だ。



前置きが長い。

意味不明だと怒っちゃいけないんだろうな。

なぜに運動会?

こういうの観ると小劇場ぽいなぁと思う。

前衛的というか、わけが分からなくて不安というか。



演出の方向性としては、自分(たち)のやりたいようにやってる感じだったな。

自己満足気味のところもあったけど、まぁ若さで乗りきってください。

うまく言えないけど、初めの20分くらいは「甘い」と感じていた。

全然だめってわけじゃないんだけど、もっと改善・洗練の余地がありそう。

これが小劇場の持ち味なのかもしれないが。



翻訳は小田島訳ベースなのだが、あれだけ改変演出しているのならば、もっと自分たちの言葉に置き換えるべきだったと思う。

訳読んだ直後せいだったかもしれないが、なんか訳そのままの所だけ若干浮いてるんだよなぁ……。



ラストの演出の都合しょうがないのかもしれないが、舞台と客席の間にテープ張るの邪魔。

座った人の顔が見えないし、演劇世界との“境界”を感じちゃうんだよなぁ。



途中にコント入るのは、この劇団の特徴なのかもしれないが、私としてはイマイチ。

本編との関連性が見えないのだ。

本編に馴染んだ頭を別の方に向けてしまうので、せっかく作った雰囲気を自分で破壊しちゃってる。勿体ない。

あんまり面白くなかったし……。

いや、でも、もっと最低の物(失恋して「ぼくの心の痛みは誰もわかってくれない」と訴えるスライド)入れた芝居あったので、それに比べたらだいぶマシなんだが。
(そのせいで、その芝居は見た中で最悪のシェイクスピア劇と認定している)



全体的にちょっとうるさい。

ハイテンションで叫ぶだけが能ではない。

「静」でも笑いは十分取れる。

ヘレナはともかくバートラム母は静かでいいと思うんだけど。


BGMかけ続けるのは、人によって評価が分かれるだろうが、今回は曲で雰囲気を補うことに頼りすぎている印象を受けた。

どうでもいいけど、シェイクスピアなら結婚式はメンデルスゾーンだろ~。


静と動と言えば、とくに前半動きすぎとの印象を受けた。

前で人が喋ってるときに背景が動くのは、うーん、慣れが必要だな。

登場人物の心的状況を表しているのだろうけど、時折にぎやかすぎた。



芝居本編の始まりも原作と違って、バートラムがヘレナを優しげに呼ぶところから。


ヘレナが田舎娘で訛ってるという演出は、バートラムが彼女を嫌うことに説得力をもたせている。

「貧乏医者の娘」だから結婚拒否というのは、一般的な日本人には実感しにくいのでは。

結婚した直後に「あんな女いやだー」と激しく訴えてもいたな。

あのシーンはヘレナの象徴として3人の男が演じていて、キモさが際立って笑えた。

ヘレナって音無可憐ぽいぞ(笑)。

どうでもいいけど、主役+取り巻きが同様の演技をする手法は宝塚を思い出させた。



王の病気が痔って……。

痔ってそんな大変なの?

「じ/ぢ」という音を聞いただけでケツがいたくなるという設定だった。
で、バートラムは「ジ」ェノアに行きたいと言い出せなくなる、と。

ヘレナが東北訛りだから、「じ(ぢ)」じゃなくて「ず」と発音することが気に入られるのかと思ったけど、普通に治療しただけだった。



絵的に気に入ったのはバートラムが王に結婚を脅迫されるシーンの背景。

首を吊られそうな人。

バートラムの身が脅かされていることがよく分かる。

この後のバートラムの演技をどうするかも気になるところだったのだが、やや力の入った感じで承諾していた。
(別の可能性としては、すらすらと便宜的に承諾するとか)



ジェノアでヘレナがバートラムの噂を聞くシーンで、ヘレナが「私の想いは…」と言った後にバートラム母、王、キャピュレット夫人、ダイアナが簡潔に心情を語るのは、それぞれ場面を割いたなら話の流れが中断され冗長になってしまったところをうまく救っていると感じた。

尤もキャピュレット母娘のは原作になかったような気がするが、分かりやすいからよしとしよう。



一番秀逸だったのは、デュメーン兄弟のペローレスを騙す計略と、ヘレナとキャピュレット母娘がバートラムを騙す計略の交互進行。

2つの場面の台詞がエコーしている。

この作品を流れるテーマについて考えさせられる。

まだ考えてないけど。

“偽りの真実”が関連してそうな気はする。



細かいし当たり前のことだが、ヘレナが「娘さんに1万クラウン差し上げます」と言ったときに「わぁ1万クラウンだって!」と喜ぶ演出があったのは分かりやすくていいね。

だってクラウンなんて分からんもん。

その直後のデュメーン(兄?)の「お前らに10クラウンやる」も喜んでたな。こちらは小遣い程度だろうな。

1クラウン100円として、100万円と1000円くらいに考えるといいのかな、現代日本人としては?



思った通り、ペローレスを騙す際でたらめな言葉喋るところでネタ仕込んでた。

これはなんも考えず大いに笑わせてもらった。(後半はちとイマイチだったが)

「ウシウシ!」「マッツヤギュードン!」「ジョンポールリンゴ!」

アドリブだったならベター。



ベッドトリックのシーンは、枠の手前にヘレナがおり、枠の向こうでダイアナとバートラムが喋っていて、バートラムに目隠しをするとダイアナとヘレナが入れ替わった。

とても分かりやすい演出。



ペローレスの人物造形がちょっと不思議だった。

ちゃらんぽらんなのは変わらないけど、嘘がばれて「フランスに帰ろう」と独白するシーンは、笑いながらもどこかしんみりとしていた。

この雰囲気は王たちの面前で証言する際にさらに強くなり、「せっかくだから」と目隠しをした上で真面目にバートラムを断罪。

彼はラストまでこのままで、みんなが笑っていても彼だけ無表情だった。

あれはどういう意図があったのだろう……。



ラストの演出も意味が分からなかった。

ちょっと不気味。

完全なるハッピーエンドでないことを予感させる。

バートラムはじめみんなが目隠しし、目隠ししたとたんに台詞を喋り始める。

恋は盲目とは違うな。

いやな現実に目をつぶる?



出なかった人

・バートラムの執事

・ダイアナの手紙届ける人

すごーく細かいけど、ラフューの娘の名前はモードリンのはずだが、なぜか芝居ではソフィアだった。

やっぱり予習するとこうかはばつぐんだ。


  

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