りゅーとぴあ能楽堂シリーズなので和風。
衣装はネオ和風といった感じ。
マミリアスはラテン語?と洋風の絵が刺繍してあって、パーディタはどこかモンゴル風だった。
カーテンコールでもドタドタしないのがいいと思った。
ポスターにもいるマミリアス(の亡霊?)がずっと壇上をふわふわしていた。
どういう意味があったのかな。
「時」の役も衣装を変えずにやっていたから、超自然的存在なんだろうか。
ラストでパーディタが冬の夜ばなしを始める際に、ちょっと不機嫌なような、神妙なような、なんとも解らない表情をしていた。
冬物語は前半は悲劇で、後半は喜劇なんだと感じた。
(余談だが、『
ロミオとジュリエット』はマーキューシオとティボルトの死を境にぐっと暗さが増すと思っている)
なお、休憩は時の台詞の直後に入った。
前半は暗い。
『
オセロー』みたい。
ハーマイオニーがポリクシニーズを引き留めるシーンは、やっぱりというか、段階的にレオンティーズの顔が曇っていった。
途中でハーマイオニーとポリクシニーズが固く手を握りあい、後ろにいるレオンティーズは見えなくなってしまったが、見えるようになったら明らかに嫉妬の表情をしていた。
前半のレオンティーズは狂気として演じていると思う。
カミロに話すとき、目の前にカミロがいるのに全く目に入っていない風だった。
実際に舞台で見てみると、レオンティーズの暴君ぶりが際立つ。
一気に嫌いになった。
あんなのに愛されてそんなに嬉しいのか?と思ってしまう。
それに対抗するハーマイオニーは低い声で、なんとなく雄々しい。
男性の脅迫や暴力に対し信念を貫く女性というと、ポーリーナを含め『
あわれ彼女は娼婦』のアナベラに通じるところがあるな。
デスデモーナはまたちょっと違う。
デスデモーナの方が若い。
アンティゴナスが取って食われるシーンは、直後に羊飼いに早変わりするせいか、残酷性は和らいでいたと思う。
内臓云々は言ってたけど。
後半は笑わせようとしている感じだったが、特に手を加えなくても元々笑えるシナリオなのかもしれない。
ポリクシニーズが正体を隠してパーディタ&フロリゼルに会う場面とか。
ルネ・ジラール『
羨望の炎―シェイクスピアと欲望の劇場』でレオンティーズとポリクシニーズは一種のダブルと書かれていたが、そう言われると後半でポリクシニーズがフロリゼルに対し怒るシーンはレオンティーズがハーマイオニーの不義密通を責める場面によく似ていると感じた。
最終場でフロリゼルは空気だった。
後で思ったが、父子の系譜として、一度は失いかけた(離縁しようとした)息子フロリゼルを慈しむポリクシニーズという所作があってもよかったのでは。
ポリクシニーズは主にレオンティーズにかまっていたようだけど。
親子の系譜というと、王ハムレット‐王子ハムレット、ポローニアス‐レアティーズ、王フォーティンブラス‐王子フォーティンブラスも終幕で完成される父子の系譜だと聞いたことがある。
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