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Romeo and Juliet

オックスフォード演劇協会(OUDS) "Romeo and Juliet"




語学力および睡眠が不足していたため、理解が一部ついていけなかった。
その癖やや辛口。


一去年LLLを観たときは中ホールだったが(皇太子が来ていた)、今年は小ホールだった。
狭い、椅子が固い。

LLL同様現代風(20c初頭?)の衣装。
全体的にスーツなので見分けがつかなくて困った(特にベンヴォーリオとマーキューシオ)。
仮面舞踏会ではロミオのみ赤い靴下をはいていたが、立っているとほとんど見えない(後ろの方の席だったので尚更足元は見えない)のであまり意味がなかった。
ジュリエットはネグリジェ、舞踏会服(黒のキャミワンピ)、喪服、普段着と衣装替えが多かった。

舞台は衝立が両脇に2つずつ、真ん中に3つ。
脇はともかく中央は背景としてしか役に立っていなかったような。
中央には台があって、バルコニーやベッドになる。

2時間の上演なのでカットが多い。
冒頭のサムソン達の会話や、乳母の「仰向けに転ぶんですよ」云々がカットされていて、主な下ネタの担い手はマーキューシオ1人に絞られた(ロミオが嘆くときの乳母の「ピンと立って」は字幕にもあったが、気付かない人も多いだろう)。
後半のジョン神父が手紙を届けられなかったいきさつや、薬屋が貧乏だから毒を売る云々も省略されていたように思う。
ロミオが納骨堂でパリスを刺殺した後に顔を確認していない。
等々。

オリジナルキャラとしてメイドが登場。
序詞と締めの台詞を彼女が言っていたが、どういう意図があるのかは分からなかった。

舞踏会までは場転にさえ音楽がなくて少々間が抜けた感があったが、舞踏会前で音楽を使いだした。

舞踏会は舞台が狭く感じ、ステージの作りのせいかドタドタしていたので、少々自己満足な印象を受けた。
誰が誰やらさっぱり分からないし。

舞踏会中にロミオとジュリエットが口づけを交わすシーンでは、乳母がそれを見て慌てて声をかけるという演出だった。
この演出だと、乳母が二人の仲を邪魔しようとしたとも、他の人に気付かれる前に意識を呼び戻そうとした(つまり、二人の味方をした)とも取れる。


バルコニーシーンは前述の通り台の上なので二人の距離がやたら近かった。
蜷川版のようにロミオが息を切らして登るくらいの方が距離感があっていいと思うのだが……(あれはあれで変質者ぽかったが)

休憩はティボルトが死んだところで入ったが、休憩中の音楽が明るめだったこともあり(TDLのワールドバザールで流れていそうな曲)、一場面前の結婚式で切るべきだったと思う。
comic reliefであるマーキューシオの死で芝居は暗さとスピード感を増していくわけだし。

ティボルトの死はあっさりしすぎていた。
マーキューシオとティボルトは短剣(折り畳みナイフ?)で戦うのだが、ロミオは「これで片をつける」と言ってマーキューシオの背広(戦闘前に脱ぎ捨ててあった)から短銃を取りだし、一瞬でティボルトを射殺してしまう。
去年見たStudio LifeのRJは復讐の鬼と化したロミオをティボルトが不敵に迎え撃ち、蹴るは殴るは洗面所?に頭をぶつけるは、かなり長い乱闘であった。
ここまでやる必要もないと思うが、ロミオとティボルトは戦ってほしいというのが本音である。
殺陣が苦手なのだろうか?(なお、マーキューシオ、ティボルト共に血糊を仕込んでおり、死ぬと白いシャツにどんどん染みが広がっていくのはそれなりに暴力的ではあるのだが)
余談だが、ティボルトをあっさり撃ち殺すのは上智大学の劇団アニュータが2004年冬にやったやつもそうであった。
こちらのロミオは激昂せず、無気力とも言える表情で、怯えるティボルトに銃を向けたが。

ティボルトが死んだ後大公たちが登場するが、大公は他の人物が去った後しばしマーキューシオの死体を見下ろしていた。
マーキューシオが大公の身内ということはパリスよりも意識されにくい気がするので、これは悪くない演出だと思う。
ラストの「身内を二人までも失った」も省略されていなかったし。
その割に、ロミオが誰を殺したか知って謝るシーンは削られていたけど。

ロレンス神父の庵での嘆き方もわりとおとなしめだったような……。
これはティボルトの殺し方が地味だったことと関連があるのだろうか。
この二場面を激情として演じるか否かで、ロミオの性格づけが大きく変わるような気がしないでもない。

ロミオとジュリエットの初夜の後、キャピュレットがパリスとの婚姻を決める場面では、なんと後ろでロミオとジュリエットがずっと愛撫していた。
確かに時間の経過としてはそうなのだが、違う男との結婚話との最中に結婚の象徴的儀式とは、なんとも皮肉なものである。
これによってパリスとの結婚がいかに無理かを表しているのかな。

結婚を強いるキャピュレットは、なぜだかすごくDVを感じた。
ジュリエットが結婚を承諾した後に態度を軟化させても、親バカというよりは傲慢さが印象に残った。
役者の外見にも影響を受けるのだろうけれど。

結婚を承諾した後(水曜日)、キャピュレット一家の張り切りぶりが挿入されていた。
ソースパンという名の召使は原作にも登場するが、このキャラは比較的省略されることが多いように思う。

瓶を飲む前のジュリエットの葛藤が半分くらいにカットされていた(後半の「早く目覚めたら」云々)が、その理由の一つはラストシーンにティボルトの死体がないことと整合性を持たせるためか。

ジュリエットが死んだ場面で、そこになぜかバルサザーが入場、死体を見て走って退場。
そのままマンチュアのロミオの許へ走っていた。
バルサザーはここ(マンチュア)で初登場だから、マンチュアで出ると前の場とのつながりが分かりにくいからそうしたのかもしれないが(バルサザーが目立つストライプのジャケットを着ていたのも認識させやすくするためか?)、敵方の手下であるバルサザーがキャピュレットにやすやすと侵入してしまうのにも違和感を覚える。
いっそ、バルサザーの役割を前から登場しているベンヴォーリオにやらせたらどうなるだろう?
血族に宿敵との恋なんて語れないからやっぱり無理か。


ジュリエットが死んだ後、ロレンス神父がジョン神父に手紙を託すシーン、渡せなかったいきさつもカット。

納骨堂の場面はカットが多かったせいか、割とあっさりとしていた。
前述のようにティボルトの死体はなく、真ん中にジュリエットが横たわるのみ。
ティボルトの死体があるのは少数派の気がするが、確か蜷川版は舞台奥にティボルト(の死体)が、埃のような薄布をかけられ横たわっていた。(本物の人かどうかは覚えていない)

ロミオが毒薬を飲んで息絶えるまでにジュリエットが目覚め、二人の視線が交わされるという、ディカプリオ版でもあった演出。
ただ、今回の上演の場合はここで笑いが起こった。
原作と違い、生きて二人がすれ違うのは間抜けでもあるのだろうか。

原作ではロミオが死んだ後にロレンス神父が入ってきてジュリエットと言葉を交わすが、ジュリエットの目覚めが早くなると神父の出る幕はなく、ジュリエットはロミオの死後さっさと自殺する。
ロレンスはバルサザーと共に入場、あらましを語るという流れであった。



   

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