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The Merchant of Venice

プロペラ "The Merchant of Venice" @東京芸術劇場

CoRich



『ヴェニスの商人』は、私が最も嫌いなシェイクスピア劇にして、最も悩ましい劇である。

この劇をどう見たらいいのか分からない。

タイムスリップしてシェイクスピアに「どういうつもりでこの劇を書いたんだ」とインタビューしたいくらいだ。

現代の視点で考えると、ユダヤ人シャイロックの悲劇と見てしまいがちなのだが、果たして当時はどうだったのか。

例えば日本の時代劇だと悪代官は悪者というステレオタイプがあるが、ユダヤ人=悪も単なるステレオタイプにすぎなかったのではないか。

他のステレオタイプを考えてみると、『リア王』のエドマンド、『から騒ぎ』のドン・ジョンといった私生児、また『タイタス・アンドロニカス』のムーア人エアロンなどがある。
(ムーア人に関してはオセローという反例?もあるし、『オセロー』のイアーゴはステレオタイプから外れた悪役ではあるのだけれど)

そもそもMVの差別意識はモロッコ人(黒人?)やアラゴン人といった別の人種、視覚障害者の老ゴボー、せむしのランスロットといった身体障害者にも及んでいるのに、ユダヤ人差別だけを取り上げていいのか。

このような問題を解決する糸口を見つけるため、何度か芝居小屋に足を運んでいるわけだが、今回もすっきりとした答えは見つからず、悶々と悩むこととなった。

悩み始めたきっかけは、グレゴリー・ドーラン演出版MVのプログラムでのドーランと河合祥一郎との対談で、ドーランの
欧米人は……ホロコースト以降のユダヤ教への考えや、イスラエル情勢なども鑑みてしまうために、シャイロックのようなユダヤ人の登場人物たちは、それらの歴史によって重荷を背負わされ過ぎていると思うのです。
反ユダヤ主義……の重荷がない日本でこそ、戯曲に描かれる様々な人間関係のバランスが正しい形に戻るかもしれません

という話。

この対談を読んで、ようやく「MV=ユダヤ人いじめ」以外の解釈の可能性に気づいた。

最近Arden版のIntroductionを読んでみたが、シャイロックの有名な「ユダヤ人には手がないか?」云々の台詞に関して、「あの台詞はシャイロックが自らの非人道的な行いを正当化するために述べている」、ジェシカとの関係についても「彼はジェシカをかわいがるそぶりは全く見せず、むしろ御伽噺に登場する滑稽で強欲な父親の体現のようだ」という今まで考えもしなかった解釈の可能性を提示していた。

喜劇は笑って楽しみたいと思う反面、子供名作全集にあるような(ラム版がベースらしい)単なる勧善懲悪の話、きれいなだけの話になっては面白みがだいぶ損なわれてしまうから、、、数百年経ってもこうやって観客を悩ませているのがシェイクスピアの天才たるゆえん、と無難にまとめておこう。


前置きが長くなってしまったが、今回の芝居について。

全員男(オール・メール)の劇団で、英語上演。
2階の端っこだったので、台詞がよく聞こえなかった。
2階席でも舞台に近ければきこえ度はあまり変わらないかと思っていたのだが、先日見たRJでは舞台に近い2階席よりも1階の18列目ぐらいのほうが声がよく聞こえたので、高さというのは聞き取りの重要なファクターのようだ。
(劇場の構造も1階席に声がよく届くようになっているのかもしれない)

芸術劇場の小ホールと勘違いしていたが、中ホールだったので見るのにも遠く感じた。

あの距離だと表情がよく見えないので、双眼鏡があった方がよかったかもしれない。

また、空調がかなり効いていて、半袖の上に薄物を羽織ってもまだ寒かった。
(周りでも「寒い」と言っている女性たちがいた)

寒いと集中できないので、空調対策は気をつけよう。

上演時間は15分の休憩を入れて2時間半。

休憩はポーシャとバッサーニオが結婚するところで入った。


5月に見たASCよりは後味が悪くなかったが、今回もユダヤ人差別に焦点を当て、また男性だけの劇団ということでクィア的要素や暴力性も出していたので、なんとも悩ましい芝居であった。

男性集団の暴力性は個人的に苦手としているので、見ていて不快なときもあった。

プログラムを見たら
男性だけの閉鎖的状況における人種差別と暴力性が跋扈し、クィアなジェンダー関係を強調した仕掛けの中で、男臭い暴力が荒れ狂う。衣装やメイクにキャンプの要素や同性愛的エロチシズムを感じる人もいるだろう

と書いてあったが、衣装が青っぽい作業服だったのと、舞台装置が檻っぽいものだったので(実際、取り外しのできる檻もあった)キャンプというよりはむしろ刑務所のようだと感じた。

理由の見つからない暴力性だと恐怖を感じたが、「登場人物は刑務所の囚人で、犯罪者だから暴力的で当然」と考えたら安心?して観ることができた。


舞台装置は客席に向かってコの字型に金属の足場が組まれており、両脇の下には檻が2つ収納されていて、必要に応じて中央などに持ってくることができる。

衣装は前述のように男役は作業服だった。

バッサーニオだけズボンの脇に赤いラインが入っているのが見えたが、他のキャラはほとんど同じで、遠目には見分けがつかない。

女役もかなり独特で、ポーシャ(黒人だった)はハイヒールにストール、ネリッサはSMの女王様風(はっきり言って変態)、ジェシカは割烹着(食堂のお手伝いさんのようなイメージ)だった。

蜷川のオールメールとは異なり、かつらも胸パッドもつけず、完全に見た目は男のままである(喋り方は女性っぽかった気がするが、英語なのでなんとも言えない) 。

ジェシカは最初はカツラつき三角頭巾をつけているのだが、ロレンゾーと駆け落ちして「男の姿になった」と言うところで頭巾を取ると坊主頭だった。

ポーシャとネリッサが学者と書記に変装するとスーツ姿になり、作業着の男たちとは違う外部の者のように見えた。


演奏も全て役者がやることもあり、また原作では人がいないシーンでも後ろに人がいて何かしているということもあって、「舞台に人がたくさんいる」という印象を受けた。


バッサーニオがアントーニオに「求婚に行くから金を貸してくれ」とせがむシーンでは、アントーニオがバッサーニオに叶わぬ思いを抱いているような演出がされているように見えた。

バッサーニオはポーシャのことを夢想しながらアントーニオを撫でるのだが、アントーニオは愛おしそうにバッサーニオの手を受け入れていた。


ポーシャの箱選びの場面では、モロッコとアラゴンのときはポーシャは舞台中央に出された檻に閉じこもっていたが、バッサーニオの時は檻にも入らず積極的にバッサーニオの手を取っていたので、彼女の心的態度の違いが視覚的にも明確に表現されていた。

バッサーニオが正しく選んだ後、「私はただの少女」と言うところで、ハイヒールを脱いだのはなかなかいい演出だと思った。

それまで彼女は「自分自身に対しても、この館に対しても女王」であり、統治者として毅然とした態度を(身の丈以上に)表さなくてはならなかったが、伴侶を見つけて周りを威嚇する必要がなくなった、ということか。

ハイヒールを脱ぐとバッサーニオよりも身長が低くなったのもさらに良かった。

その後の場面ではずっとハイヒールを履いていたけれど。


ポーシャも黒人だが、モロッコ(モロッコも黒人が演じていた。逆に白人だったら面白かったのに)に対する台詞はそのままだったので、なんとも皮肉な感じがした。

モロッコにしろアラゴンにしろ、それっぽい音楽を作り出して(演奏も全て役者がやる)訛りを出す(モロッコ役の人はヴェニス大公をやるときも同じ喋り方だったので、モロッコ訛りというわけではないのかもしれないが)という”人種差別”的な演出はされていた。

なお、モロッコとアラゴンの箱選びは続けて演じられた。

箱をしまうのが大変だからなんだろうか?


シャイロックの「ユダヤ人には目が無いか?」はかなり暴力的な演出で、なんとシャイロックが嘲笑してくるグラシアーノか誰かを縛り付けてぶん殴り、それでもグラシアーノは侮蔑し唾を吐きかけ、さらにグラシアーノのピンチに気づいたほかのヴェニス人が瓶などの得物を持ってシャイロックに襲い掛かるというものだった。


キャンプの要素を感じさせるためか、登場人物が突然床掃除を始めたり、工場にありそうなベルが鳴ったりしていた。

しかし、残念ながらこの演出の意図はつかめなかった。


裁判の場面で、ポーシャとネリッサは書類を落としたりして、少し頼りない印象だった。

服も心なしか大きめだったように思う。

「どちらがユダヤ人だ?」のところではアントーニオとシャイロックを間違えた。

「血を流してはならぬ」の演出は、ポーシャは紙を見ていてシャイロックがアントーニオにナイフを刺そうと一騒動起こしているのにも気づかず、ぎりぎりのタイミングで判決を読み上げた。

つまり、ポーシャは予め判決を用意してきたということになる。
(ベラーリオ博士と考えたのだろうか)

この解釈の方が、日本でよくあるような「ポーシャも慌てふためき、すんでのところで判決を思いつく」という演出よりも自然だと思う。


そういえば、老ゴボーのエピソードがなかった。

あと、テューバルが意外に若く、最初はランスロットかと思った。


 ヴェニスの商人

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刑務所という設定

開幕の台詞が「どっちがMerchantでどっちがJewだ」ではなくて「どっちがChristianでどっちがJewだ」だったところがポイント、と今日恩師に教わりました。なるほど、深いです。
  • 北区のタイモン
  • 2009-07-29 23:05
  • Edit

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