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ヘンリー六世 第一部

「ヘンリー六世 第一部」 @新国立劇場

CoRich

初台オペラシティは駅直結、新しくきれいでなかなかいい劇場だった。

1.5時間座ったら尻が痛くなってきたが、そんなに悪い椅子でもないと思う。


今日は一番安いZ席(当日券)で観た。

1500円しかしないが、彩の国と違ってちゃんと全部見えるのが嬉しい。

開演前に見たときは、舞台奥で演技していたら見えないのではないかと危惧したが、ほとんどが前に突き出した部分で行われ、かつちゃんと奥まで見えた。

舞台はかなりシンプルで、手前にジャンク、観客から見て右手前と中央奥にやぐらのような物がある。
(やぐらは必要ないときには宙吊りにされている)

椅子や幕が出されることもあるが、基本的には大道具なし。

当時は書き割りもなかったので、このぐらいシンプルな方がシェイクスピアらしくていいのかもしれない。


1作につき3時間かけるので、全部見ると9時間。
(1時間半で休憩15分が入る)

1日一挙上演は見るほうも大変だが、やる方は遥かに大変だろう。


予習のためにH6を久々に読み返し、今度は2回目でしかも『リチャード二世』~『 リチャード三世』の8作を一応通読した状態だったので、最初に読んだときよりも遥かにワクワクして読めた。

そんなわけで、舞台を見るのもとても楽しみだったわけだが、予想通りの出来で満足した。

1H6の舞台写真がぴあなどで見られたので、少しイメージができていたというのもある。


今作ではヘンリー六世の出番は少なく(何しろ冒頭では生後9ヶ月なので)、ジャンヌ・ダルクが印象に残った。

男たちがグレーのコートを着る中で、銀の鎧を着て走り回って高い声で叫ぶ姿は舞台映えしやすいのかもしれない。

イントネーションが読んでいるというか、頭の中にあるものを口に言わせているような、ちょっと独特のものだったのだが、それを聞いてジャンヌは何かに憑かれているというイメージもあるのだな、と少し思った。

プログラムによるとジャンヌは「正義」トールボットに対する「悪」だというが、今回の舞台を見た印象だともっと複雑なキャラクターのように感じた。

ジャンヌが処刑直前に「身ごもっている」と言い出すのは、聖処女と言われているのに妊娠していて、おまけに父親がころころ変わるという滑稽なシーンではあるのだが、あの場面は父親を否定する箇所も含めて、ジャンヌが必死に死刑を免れようとしているようにもとれる。

シェイクスピア当時はどうか分からないが、妊娠中だと死刑を免れる(産んだ後に処刑というケースもあるようだが)のはイギリスにあったようで、 18世紀の作品『モル・フランダーズ』の主人公の母はそれで流刑に減刑されているし、『ベガーズ・オペラ』では女囚相手の種付けの仕事が登場する。

自分を高貴な身分と言うのは、『ヘンリー六世第二部』のショーア夫人が魔術を使っても流刑で済むことを考えると、身分の高さにより減刑をねらったのではないだろうか。

生への執着は『 リチャード三世』の「馬をくれ」に匹敵するかもしれない。

悪霊に体を売り渡してまでフランスの勝利に執着したジャンヌ・ダルクとは一体何者だったのだろうか。


シャルルとヨーク公が和睦する後ろで、ジャンヌ・ダルクの火刑が行われていた。

遠かったのでよく見えないが、ジャンヌは罪状を記した紙の帽子を被せられていたようだった。
(フスの火刑に出てくるような物)


シャルル、アランソン等フランス軍の主要人物は初登場時に頬を赤く塗っており、笑うべき対象という位置づけがなされていると判断した。

シェイクスピアはイギリス人なので、敵対国は嘲笑の的ということか。

シャルルはキザで腰抜けといったところか。

ポスターがポップな感じなので、演出にもある程度の軽さがあるのだろうと思ってはいたが、このあたりはまさに「軽さ」の部分だろう。

終盤ではいつの間にか頬の赤がなくなっていた。


舞台を見てふと思ったが、「オルレアンの私生児」はほとんど名前を呼ばれることがない。

イギリス軍が「私生児」と言うことはあるが、フランス軍は面と向かって「私生児」とは呼びそうにない。


場の省略はほとんどなさそうだが、いくつかカットされている部分がありそうだった。

気がついた範囲だと、やぐらにいるトールボット達に砲弾が当たる場面ではその直前にフランス軍の見張りの父子の会話が入るが、父子は完全にカットされていた。

また、トールボットが息子の死体を発見するシーンは、原作どおりなら兵士が死体を運んでくるのだが、この場面はトールボットと息子だけで、場面を際立たせていた。


リチャード・プランタジネットが渡辺徹であることをひどく意外に思っていたが、実際に見てみると思ったより違和感はなかった。

髪型とメイクのせいか、普段のイメージよりも悪人面に見え、あの体型と顔つきのせいか一層陰険そうに見えた。


H6は登場人物が多く名前も「○○公」ばかりでとにかく覚えにくく、赤薔薇と白薔薇も出てきて人物把握がとても大変なのだが、実際に舞台で見るとだいぶ分かりやすい。

白薔薇と赤薔薇は摘み取る場面以降ずっと衣裳につけていてくれるので、誰がどちらなのかいちいち確認しなくて済む。

貴族ばかりで誰が誰やら分からない、また登場してから名前を1回呼ばれるか呼ばれないかのうちに死んでしまう人物はさすがに名前を把握しきれなかったが。


グロスター公は、『ヘンリー六世第二部』だけ読むと「いい人なのに陥れられた」という印象を持ってしまいそうになるのだが、1H6と比べると明らかに描かれ方が異なる。


ウィンチェスターとグロスターの部下は色分けがされていたと思うのだが、今回はそれほどはっきりと色の違いは表されてはおらず、色を叫ぶ台詞の部分もカットされていた。

乱闘場面では、ウィンチェスターの部下はなんと本で戦っていて、思わず笑ってしまった。


ジョン・フォールスタッフは『ヘンリー四世』のフォールスタッフのような姿だったが、確かH4のフォールスタッフはH6のフォールスタッフから名づけられたのであって、同じ人物ではなかったはず。


手紙が何度か登場するので双眼鏡で見てみたが、ウィンチェスター枢機卿が引き裂くグロスターの手紙は英語(Henry VIという文字が見えた)、その他の手紙は日本語で書かれていた。

バーガンディ公の手紙は台詞通り宛先が「国王へ」だった。

  

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