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リチャードII

演劇集団 砂地「リチャードII」 @SPACE雑遊

CoRich


「リチャードII」を見てきたのだが……シェイクスピアの原作を
元にした現代・政治劇で、予習なしで見るのは正直言ってきつい。
今回は同行者がいたのだが、最初に見るシェイクスピア劇と
してはレベルが高すぎたのではないかと心配だ。
ウェブサイトに「原作を知らなくても楽しめる現代劇」とあった
のと、服がしきつめられた舞台を見てちょっと不安になったのだ
が、その予感は的中してしまった。
割合としては、原作6のオリジナル4といったところか。


原作が登場人物が多くて理解しずらいので、舞台で見て覚えよう
と思っていたし、政治劇は好きではない(むしろ嫌い)ので、
始まったことは失敗したなあとちょっと後悔したが、
シェイクスピアの1ファンとして頭を切り替えて、「21世紀の
政治批判にこんなマイナーな作品が使われるなんてすごいなあ、
ギリシャ悲劇が政治批判に使われるという話は読んだが、
シェイクスピアもハイナー・ミラーの『ハムレットマシーン
に見られるように政治批判に利用されているわけで、やっぱり
シェイクスピアってすごいなあ」と自分に都合よく考えること
にした。
そう考えて臨むと、シェイクスピアのエッセンスを自己流に味付け
する手法を興味深く見られた。


タイトルの「リチャードII」は、ヘンリー・ボリングブルックが
リチャード二世の二の舞(ダブル)になるということで、
リチャードが2人ということでIIなのではないか、とふと思った。
どういうことかというと、冒頭でリチャードが言ったのと
全く同じ台詞を即位後のヘンリーが言うということである。
もちろん、原作ではヘンリー4世は全然そんなことはないのだが。
原作では、むしろヘンリーが即位することによる不吉な予言の
方が印象に残った(『ヘンリー四世』・『ヘンリー六世』を
想起させる)。


感じたこととしては、この芝居はリチャード二世に魅力
(求心力?)が必要だということだ。
今回のリチャードは良かったと思う。
リチャードが目立ちすぎて、他のキャストが没個性に見えて
しまった感も否めないが。


リチャードだけ少し年上、他のスーツ集団は20代位だった。
ヨークはリチャードの伯父であるが、むしろ甥に見えた。
途中何度かボリングブルックの仲間に乱暴されていたが、
原作ではまがりなりにも王族であるし、兄弟のジョン・オブ・
ゴーントには既に孫(ホットスパー)がいることから考えて
老齢の域に達していたと思われるので、そういう手荒な真似は
されないのではないかと思う。
私が読んだイメージだとヨークは新国立劇場版の
「ヘンリー六世」のケイ卿を思い浮かべていたのだが。
蜷川版でR2をやるとしたら瑳川哲朗あたりがやるのだろうか。


同行者は「誰が誰やらわからない」という感想を漏らしていた
が、確かに皆スーツ姿で誰が誰だか分からない、というか、
誰が誰であるかはどうでもよかったのだと思う。
ちゃんと聞いていたか自信はないのだが、リチャードと
ヘンリー・ボリングブルック以外の名前が台詞に出てこなかった。
また、複数の登場人物の台詞が一人のものになっていたり、
1人の台詞が複数の人に分割されたりと、かなり自由な改変を
行っていたようだ。
分かりやすい例としては、ヨーク公一家が嘆願に来る場面で、
告発されるのはヨークの息子ではなく友人なのだが、ヨーク公の
台詞はヨーク公1人で喋っていたのに対し、ヨークの息子(に相当
する友人)はヨークの息子とヨークの妻の台詞を喋り、さらに
ヨークの妻の台詞の一部は別の人物(マスメディア)が喋っていた。
ところで、スーツ集団のひとりが「憎まれるのは政治屋の仕事
だろ」と言っていたが、では他の人たちは何者なのだろうか……?


リチャードの長い独白は、リチャードが地下室にひっこみ、
オーバーアクション気味に独白するのをビデオ中継し、それを
ヘンリー達が見ているという演出でマンネリ感をうまく避けていた。
個人的には今回一番の見所であった。


この作品の舞台には前述のようにたくさんの服が敷き詰められて
いて、その上で演技をしていた。
服は民衆を現していて、王侯貴族が民衆を踏みつけていることの
象徴だったようだ。


この服にはもう一つのオリジナル演出があって、民衆代表という
立場で服屋の女性店員2人が登場し(ただし彼女達は服を踏みつけて
立っている男たちを専ら眺めているだけで、王妃が服を買いにくる
場面とヘンリー・ボリングブルックがラストで民衆に問いかける
場面の2回しか直接の関わりがなかった)、服を畳んできれいに
並べるという作業を延々と繰り返す。
ただ、気になったのは、彼女たちが民衆代表なのに、途中で子供時代
を思い返して鬼ごっこをする場面で、ステージに上って服を踏んで
しまったことだ。
確かに狭い舞台袖(人2人がやっと通れるぐらい)をぐるぐる
回っているだけでは動きの派手さに欠けるのだろうが、彼女たち
大衆の具現者に同じく大衆の具現物である服を踏ませては
いけなかったのではないかと思う。

なお、彼女達の台詞や場面はほとんどがオリジナルで、閉塞し
不安な状態の国(現代劇だから日本だろう)で不安を抱え、
その状況から逃げ出したいという思いを吐露するものだった。
「こんな不安な世の中では子供なんて産めない」という話も出て
いたが、中世(ダークエイジ)の真っ盛りであったリチャード二世
の時代(在位1377~1399)と比べたら遥かにマシだろうな、
と余計なことを考えてしまった。


死亡率が今とは比べ物にならない高さの中世において、母親たちが
どういう心理で子供を産み育てていたのは気になるところだ。
手元にある『中世の森の中で』によると、1世紀前になってしまうが
イギリスのウィンチェスター地方の1297年の”20歳まで生き延びた”
男子の平均余命が20年、つまり40歳ぐらいまでしか生きられない
計算とのこと(p.175)。
乳幼児の死亡率の試算は無いが、ルイ8世(1187-1226)の子供は
12人中4人が死産でさらに3人が子供のときに死んだとある (ibid.)。
つまり乳幼児での死亡率は58%。
やはりデータが1世紀古いが、13世紀後半のイングランドの農村の
生活を描写した『中世ヨーロッパの農村の生活』だと45歳が老年の
入り口となっている。
ちなみにこちらの本には、子供が事故死して後追い自殺をした
父親や、娘を救おうとして死んだ父親の話なども載っており、
なかなか興味深い。
農村では嬰児殺しは少なかったと書いてあるが、『リチャード二世』
ではおそらく城の方が舞台だろうから、この点に関しては
同シリーズの『中世ヨーロッパの都市の生活』や
中世ヨーロッパの城の生活』(都市と城がどう違うのかは
分からないが、どちらかというと城の方だろうか?)を読まないと
いけないのだろう。
『中世の森の中で』のほうには、フランスのある地域でかつて
女児の間引きがあったのでは、という調査結果が載っている。


民衆を象徴する女性の1人は劇団員という設定で、演劇をやるのは
「世界とつながるため」と言っていたが、これはこの劇団としての
主張なのだろうか。
そうだとすると、オリジナルの政治劇でなくわざわざシェイクスピア
を引っ張ってきた意図がなんとなく分かる気がする。


王妃は不妊症のため夫との仲が冷え、不倫や買い物依存症に走り、
さらには買い物のしすぎで国庫がすっからかんになるという
とんでもない設定になっていた。
原作を読んでいない同行者が勘違いしないといいのだが……。
王妃は産めないことにコンプレックスを感じ、わざと女性的
(挑発的)な衣装を着ているが、それでも自分が女であることに
自信を持てないという描写だった。
王妃は「子供ができない」と言っているだけなので、リチャードの
方が不妊症の可能性もあるが、不倫しても子供ができないのなら
少なくとも王妃の方は不妊症なのかもしれない。
ヘンリー六世の妃マーガレットは不妊症で無いが、不倫していた
にもかかわらず不用意な妊娠でその事実がバレるということは
なかったので、何かうまい手があったのかもしれないが……。
不妊症と不倫の王妃というとマクベス夫人がいるが、イメージと
してはむしろ『アーサー王の死』のギネヴィアの方だろう。
リチャードの王妃は「自分を必要としてくれる男」なら誰でも
よかったので、ギネヴィアよりも落ち着かない感じだが、
傾国という点では近いのかもしれない。


王妃が2回「遠き山に日は落ちて」を歌うのだが、あの曲は
過ぎ去ってしまった子供時代への慕情を表すのだろうか。
1回目はリチャードの演説のときに悲しそうに歌うのだが、
意図が全く分からなかった。


王妃が服屋に行って、店員の立ち話を聞いて喧嘩になるくだりは
おそらく庭園の庭師の会話が原形になっているのだろうが、
庭師は王妃に同情的だったのに対し、店員は王妃の思想の押し付け
(女は子供を産まないといけない云々)に逆ギレするという展開だった。


リチャード殺しはマスメディアを象徴する男(彼だけジャンパーを
着てビデオカメラを持っており、スーツ集団とは明確に区別されて
いた)が行うが、ヘンリーは彼を弾劾しようとして失敗し、
逆にマスメディアが情報操作による脅しをかけ、民衆は無関心
という結末だった。


リチャードの造形はおそらく小泉元首相ではないかと思う。
「痛みのある改革」、髪型(というより髪の色)、また
リチャードを見て「俺ちゃん」という言葉を思い出したが、
あれは確か小泉政権の分析に関連して出てきたような気がする。
政権交代のイメージで考えると、ヘンリーの方は民主党政権か。
リチャードのアイルランド出兵は「国境の方が騒がしい」となって
おり、これは尖閣諸島問題への言及のような気もしたが、
それぐらいのアナクロニズムは許容範囲だろう。
そんな細かいことを言っていたら、数十年をすっ飛ばしたり、
兄を弟に改変してしまうシェイクスピアの立つ瀬が無くなるだろう。


 

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